里村欣三は、日中戦争の勃発にともない、昭和12年7月応召、8月中旬、中国河北省の大沽に上陸、以後、中国の北支、中支の気の遠くなるような距離を通信隊特務兵として転戦した。原隊である岡山第10師団は昭和14年8月11日、復員命令に接し、10月、岡山に帰着、20日、召集解除になったが、里村は病気のため帰着が遅れ、14年12月中旬帰国した。
 この左端の『歩兵第十聯隊史』(昭和49年4月18日、歩兵第十聯隊史刊行会刊、A5判、1030ページ)は、岡山第10連隊の第一線の戦闘記録であるが、第二線の通信隊輜重兵である里村の『第二の人生』等の記録とも、混戦となった「台兒荘」の戦闘を除いては時間的な齟齬はほとんどない。本サイト「日中戦争従軍の足跡」を併せてご参照ください。
 中の写真は同書による昭和12年8月14、15日の大沽上陸時の様子。
 右の『岡山聯隊写真集』(写真は外箱)は横225×縦297mmの変型A4版で、230ページの写真集。昭和53年10月1日、国書刊行会刊。里村が日蓮宗の信者になるきっかけをとなった鈴木律治軍医の写真が載っている。
 タイトル通り全国の陸軍歩兵連隊を総覧するこの本は、1990年9月8日、新人物往来社刊、B5版、289ページ。
 里村が大正11年、徴兵検査を受け入営が予定されたのは姫路であったが、昭和10年、徴兵忌避を自首して出たのは岡山。
 「大正十四年五月、姫路での五十一年に及ぶ駐屯の歴史を閉じて岡山に転営。」とあり、この間の事情がわかる。
 陸上自衛隊幹部学校の教官が陸戦史研究普及会を組織し、戦略・戦術の面からマレー進攻作戦を総括したもの。そこでは戦傷死する将兵は単に数字としてくくられ、侵略される側の痛みの視点もない。巻末に作戦地図が付録する。
 昭和41年9月20日、原書房刊、B6判、282ページ。
 歩兵第11連隊(広島)の小隊長としてマレー戦に従軍した元大尉越智春海の実戦回想記。小説風の構成になっている。
 1973年7月15日、図書出版社刊、四六判、381ページ。
 朝日新聞特派員の酒井寅吉のマレー戦従軍記。
 昭和17年8月20日、朝日新聞社刊、B6判、323ページ。
 陸軍報道部企画の『大東亜戦史』四部作のひとつ。
 編集券発行人は朝日新聞社の山本地となっている。
 昭和17年11月8日、朝日新聞社刊B6判、287ページ。
 陸軍報道班員讀賣新聞特派員の南節が少国民(子ども)向けに書いたマレー戦記。
 昭和18年6月20日、讀賣新聞刊、B6判、221ページ。
 マレー戦において、電撃作戦のキーポイントとなる戦いをした戦車隊の中隊長、島田豊作の回想録。
昭和42年11月20日、河出書房刊、新書版よりやや大きい判形(115×182)、292ページ。
 イギリス陸軍に勤務したアーサー・スウィンソンがマレー戦において見聞した、いわばイギリス側から見た戦史である。写真多数。
 『シンガポール〈山下兵団マレー電撃戦〉』昭和46年1月5日、サンケイ新聞出版局刊、B6判、214ページ。
胡 邁著・井田啓勝訳『華僑新生記』昭和19年1月5日新紀元社 B6版348頁。
總匯報の編集長だった胡邁は日本軍のシンガポール攻撃の中、離れた家族を求め、逃げまどう。占領後、日本の国策新聞『昭南日報』編集者として屈服していく。戦時下の華僑知識人の苦悩が伺える。
 兵士の証言、日記を元にマレー戦の実相にせまる。後編に堺誠一郎との対談「マレー戦をめぐって」を収載し、里村欣三のマレー従軍の足跡、第一線部隊と共にシンガポールに渡河した状況が語られ、里村研究の側面資料になる。
御田重宝著『マレー戦前編・後編』、1977年10月10日、現代史出版会(発売徳間書店)、B6版、前編256ページ、後編280ページ。
 マレー戦線の「六人の報道小隊」(栗原信、里村、堺誠一郎、石井幸之助、長屋操、松本直治)の一人松本の昭和18年の著作だが、里村のことは一行も記載なし。戦意高揚以外の著作が許されない時代とはいえ、栗原の『六人の報道小隊』に比べ、期待はずれのいかにもの従軍記に終わっている。
 昭和18年8月10日、朝陽社刊、四六判258ページ。
 原不二夫・今仁直美訳『マレーシア抗日文学選』1994年12月9日勁草書房(井村文化事業社)B6版
北ボルネオ、コナ・キナバルでの抗日蜂起「双十事件」に材をとった「小さな町の夜」(陳全)、シンガポール陥落前の華僑を描く「白蟻」(鉄亢)、中国における抗日の日本人女性を描く「日本人女スパイ」(張一倩)など、プロレタリア文学の秀作にも匹敵する作品を納める。
この『大東亜戦争年史』は昭和16年12月の開戦から昭和17年12月までの1年間の戦争の記録である。編者は大東亜戦争年史編纂室、発行は愛国新聞社である。大東亜戦争年史編纂室の実態は明らかではないが、陸海軍の戦時報道の記録や、感状の記録、各部隊の司令官、師団、連隊指揮官の談話で占められているので、官製の編纂室だと思われる。まだ勝ち戦であったときの官製の記録である。
 昭和18年1月30日刊、A5判、479ページ+資料・索引18ページ。紙質は相当に悪い、資源欠乏を伺わせる。
 シンガポール総領事館に新聞報道担当として勤務中、英当局に監禁、投獄され、日本軍のシンガポール占領と共に昭南特別市の教育課長として占領政策に参加した篠崎護氏の回想録。占領後の華僑虐殺にもふれている。
 シンガポールにおける里村ら報道班員に対する記述はない。
 昭和51年8月10日、原書房、B6判、266ページ。
 表紙は小松崎茂の漫画であるが、中味は多数の写真をベースに、的確にフィリピン戦の実態を記述している。
 里村欣三(と今日出海)が、どのような状況下で敗色濃いフィリピンに渡り、里村は戦死、今は九死に一生を得て帰還したか。側面資料として好著である。
 『写真で知る近代日本の戦歴15 比島決戦』 村尾国士著、1992年11月30日、フットワーク出版刊、A5判、252ページ。
 郵政の高級官僚であった佐々木元勝氏の日中戦争従軍記『野戦郵便旗』は上下2冊で、昭和48年4月20日、現代史資料センター出版会から刊行された(元版は昭和16年)。下巻のカバーは同デザインの朱色である。詳細を極める描写、優れた知性と観察眼、愛国的だが偽りのない記述。南京虐殺事件、従軍慰安婦問題、その他の基礎資料として各書に引用されている。戦争の実態を知る第一級資料である。一読をおすすめしたい。
 古書値は2冊揃いで3000円前後。