赤線は主に徒歩による従軍経路、緑線は病気退院後の列車による原隊復帰経路を示す。(元図は昭和12年7月30日、小林又七発行)
 経路作成には、里村欣三の著書『第二の人生第一部』『 同 第二部』『徐州戦』『支那の神鳴』「補給」(『文芸春秋』昭和19年6月号)等をベースに、『岡山聯隊写真集』(昭和53年10月1日、国書刊行会)、『日本陸軍連隊総覧』(1990年9月10日、新人物往来社)等を参考に作成した。作成後、『歩兵第十聯隊史』(昭和49年4月18日、歩兵第十聯隊史刊行会)を入手、この記述とも一致することを確認した。
 2005年12月、『赤柴毛利部隊写真集』(昭和47年1月27日、山陽時事新聞社)をもとに、昭和14年1月、里村の原隊復帰後の経路を一部修正した。
 里村の著作の主人公は「並川兵六」で、歩兵通信隊第三分隊配属特務兵(輜重兵)とされている。「兵六よ、お前は馬を引いて歩く輜重兵である」(『兵の道』)とあるように、通信機器を運搬する輜重兵であった。
 岡山歩兵第十聯隊は、1〜12の中隊が、4中隊ずつ計3大隊に編成され、通信隊は連隊本部直属とされている(歩兵第十聯隊編成表、昭和12年8月1日調、『赤柴毛利部隊写真集』)。時々の戦況に応じて、各大隊へ配属されたのであろう。
 里村の作中人物「並川兵六」のその進軍経路と時間は、岡山歩兵第十聯隊と一致し、『第二の人生』中の「壽々木衛生准尉」が実在の鈴木律治軍医大尉(里村欣三写真館参照)であったり、病気で後送される際、延長されたばかりの准南鉄道で裕渓鎮から蕪湖に渡ったり、また原隊の岡山第10連隊が里村の入院中に、漢口から北支の石家荘に転進したことなど、すべて戦史的事実と一致する。
 従って、里村欣三の従軍経路については、著作には小説的虚構はほとんどないものとみなし得る、と思います。