里村欣三の 葉山嘉樹宛手紙
【ここが哀切】
 
昭和10年5月1日消印で、長野県上伊那郡赤穂村在の葉山嘉樹に宛てて出された里村欣三(前川二享)の手紙。
 徴兵忌避を自首した直後の手紙で、自首に至る経緯と心情が、真摯に、率直に語られている。
 葉山は里村のこの行動を全面的に是認した。
【出典】
浦西和彦著『近代文学資料6葉山嘉樹』 P181-184
桜楓社 昭和48年6月15日刊
 この手紙を、飛んでもない土地から差し上げるので、きつと驚くだらうと思つてゐる。昨日、妻子が九州から、僕の隠れ家へやつて来て、君の手紙を見せたので、どうにも我慢がならなくなつて、この手紙を書く次第だ。君も凡そ想像がついてゐることだと思ふが、僕はこゝ一ケ年間の熟慮の結果、徴兵忌避になつてゐる兵籍関係を清算する決心で、僕の故郷へ帰り、自首して出た。ところが、僕は十四五ケ年行方不明、居所不明のまゝ、僕の親戚が、失踪宣言の手続を取り、僕は「死亡」となつて戸籍から廃除されてゐた。それで滑稽なことに、戸籍のない死人に、陸軍刑法が適用されないといふ矛盾が起つて、今、失踪宣告の取消しが、先決問題となつてゐる。この戸籍上の民事裁判が決定するまで、どうにも仕様がないので、九州から女房子供を呼び寄せて、表記の場所で侘び住ひを開始することにした。
 僕の今後のコースがどうなつて行くものか、ちつと予測がつかないが、村役場の調査では、失踪宣告後六ヶ年を経過してゐるから、たぶん兵籍関係は時効にかゝつてゐるだらうとの話だ。さうあつて呉れゝば、本当に助かると思ふが、若し悪く行つても最初の決心から見れば、悪くも重くもない訳だ。それ相応のツトメを果して、自由の身になるつもりだ。とに角、事情は右の通りだが、僕はこの決心をすると同時に、誰にも迷惑をかけないつもりで、単独で行動し、突然行方を晦ましてしまつた。僕のこの考へや行動には、色々の批評も、忠告もあつたであらうが、僕には、かうするより外に手がなかつた。とに角、僕は憂鬱極まりない地下生活から飛び出して、青空の下で思ひ存分に働かなければ、どうにも生活の打開の路がつかなかつたのだ。一年や二年の犠牲を惜しんだので、僕は過去に十四五年間の不自由な生活をして来てゐるし、この決心がもう少し遅ければ、人生の凡てを棒にふつてしまふところだつた、と思つてゐる。
 今、こんな手紙であらゆる事情を書き立てる訳には行かないが、君は僕の一切を理解して呉れると信じてゐる。生活だけが、人生の進路を示してくれる旗だ。今から考へれば、千葉の田舎へ落ちこんだことが、僕にこの決心の拍車にもなつたし、警察のおせつかいも亦非常な手助けになつてゐる。たゞ困ることは、これからの妻子の生活だ。だが、こいつは親類縁者へ泣き落しの戦術以外にはない。多分、こいつは大丈夫だから、妻子をこゝへ呼び寄せ、捨身の戦術をとつた。だから、女房や子供の生活については、誰にも心配をかけないで済む確信をもつてゐるから、安心して欲しい。
 いざ、かうしてペンを握つてみると、何を書いてよいか分らない。とに角、千葉にゐた時、君に手紙を書いたやうに、あらゆる嘘と偽りでカモフラージした生活では、本当の文学は生れないし、第一に子供たちに対する責任が済まない。あれやこれや、色々に考へた末に、敗北的だが、その筋へ自首して出ることにしたのだ。或いは、君を怒らせることかも知れない。だが、僕にはかうするより仕方がなかつたのだ。とに角、善悪、良否、そんな風な比較的な問題を、遙かに超えた、僕にとつて、生死的な問題なのだ。──とに角、余り悪く思はないで、再会の日を期待してゐて貰ひ度い。僕としても、こんなことは余り人聞きのいゝことではないから、誰にも黙つて、なるたけヂヤナリズムの問題にならないやうに予防してゐるんだから、君もこの手紙の内容を誰にも漏らさないで、一人の胸に収めてゐて留ひ度いと思つてゐる。石井[安一]君の女房から、僕の女房宛に手紙が来たさうだが、それによると、石井君や小堀[甚二]たちも大変に僕の居所不明を心配して荒畑[寒村]さんにも相談を持ちかけたさうだが、君からでも御迷惑だが、余り騒ぎ立てないで呉れとでも伝へて貰へまいか。さうでないと、また飛んでもない迷惑をかけたら不可ないと思うから。僕もさう思つたから、誰にも相談しないで、突然に姿を消したのだ。
 第一、僕も色々前後の事情を考慮して、僕がかつて作家であつたことも、また僕が里村と偽称してゐたことも、ひた隠しにして、一ルンペンとして裁きの延[廷、筵]に立とうと決心してゐる。これは僕の、あるかなしかの文学的生命を惜しむんではなくて、かつて僕を厚い友愛と同志愛で包んでゐてくれた人々に迷惑のかゝることを怖れるからだ。この点を特に留意して貰ひ度い。
 まだ書きたいこと、書かねばならぬことは多いが、今日はこれで止します。或いは今後も手紙を出さないかも知れないが、心配しないで下さい。それから、広野[八郎]君からも手紙を呉れてゐるが、どうか兄の方から適当な返事を出して下されば幸甚。
 僕も一切事件が片づけば、文字通り「死亡」から甦生するつま[も]りである。若し文学的に葬られても、子供だけは強く、明るく、文学以外の生活で育てゝ行き度いと決心してゐる。僕にかういふ決心と、今で云ふ能動的精神を與へたものは、実は君の全集だ。僕は毎日、君から貰つた大きな全集を、千葉の海岸で繰り返へし、繰り返へし読んでゐたのだ。あれを読んでゐるうちに、僕も本当の自分の生活が書き度くなつたし、口や言葉の上ではなく、本当に子供を愛さなければならなくなつてしまつた。そして到頭、親の自覚、親の責任、それから自首──といふ風な肉体的な大きな愛情を掘り出してしまつた。一方には、飢餓に等しい生活、警察の無智な追求と、あれやこれやで、到頭行きつくところへ行つてしまつた。が、今では一皮剥いだやうに身心が軽くなつてしまつた。夜もよく熟睡できる。
 君からの手紙を二通、今日続け様に読んだが、やはり文学で身を立てることは、生活上の困難があるね。こいつは、本当に困つた問題だ。君の手紙や小説をよむと、非常に一時勇気づくが、今度、僕が出て来たら、差しづめ、身の振り方をつけなければならないが、文学で生死的な闘争が出来るか、どうか、その勇気が疑はれる。今から先きの心配をする必要もないが、まだまだ僕には、文学的な素質があるか、どうかゞ第一義的な問題だ。もう僕も一切の運をサイコロに賭けるだけの、危ない芸当も出来なくなつたやうな気がする。たしかに、人間の風化だらうが、困つたことだ!
 君の小説が、また改造に載つてゐるらしいが、君の馬力には実に感心する。文戦の連中はみんな無言の行に入ってしまつたが、君の健闘だけは心強い。まだ読まないが、何づれそのうちに読みたいと考へてゐる。御健闘を祈る!
 それから僕の子供たちにも、久しぶりで逢つたが、欣之助は非常に元気で、僕に飛びついて来たが、夏子の奴は、九州から汽車の中でハシカを出してしまつて、二目と見られない無惨な顔をして、今グヅグヅ言ひながら寝込んでしまつた。
 たあ坊も百つちやんも元気だらうね。もう一年以上になるが、山の中で一層鍛へられて逞しい女ツ振りになつただらうと想像してゐる。元気で早く大きくなるやうに祈つてゐる。
 妻君にも、くれぐれもよろしく。では、読んだら、この手紙を火中にしてくれ給へ。
  五月一日メーデー
       岡山市上伊福清心町三〇五
                 前川二享拝