『第二の人生』(第一部)
【ここが哀切】
 
昭和10年5月徴兵忌避を自首、その後、東京に出て再び作家生活を志した時期があったが、昭和11年秋には故郷の岡山県福河村寒河に妻子を呼び寄せ、背水の陣を敷いた里村欣三。だが、故郷の人々の里村を見る眼は厳しく、冷たい。その中で鬱屈し、内に籠もっていく妻や子供たち。故郷の人々に反発しつつも、転向を自己の内部から突き詰めていこうとする里村。
 青野季吉の「逞しい體、弱い精神」(『青野季吉日記』)という批判を重ね合わせるとき、その哀切感は深い
 里村にとって、他にどのような方法があったのだろうか。
【出典】 『第二の人生』(第一部) P8-13
河出書房 1927年4月16日刊
 彼の思想はすでに、この五六年來の非常時局の重壓に堪へかねて、微塵に破碎し盡くされたものであつた。思想の破産は同時に、生活の破産であり、その頃彼の故郷への逃避がはじまつたのである。
 しかし少年時代を慈しみ育んでくれた故郷の風物も人心も、彼には冷めたかつた。その冷めたさも、まだ故郷に馴染のある彼には忍べた。だが、爪の垢ほども兵六の故郷に馴染をもたない妻子には他人のやうによそよそしく、しかも敵意のある眼は、忍び難い痛さであつた。二人の子供たちは東京へかへることをせがむし、あらゆる機會にあらゆる手段を盡くして、故郷の人たちに接近して迎合につとめた妻も、そのあらゆる手段と計畫に敗れてしまつてからは、薄暗い一間に閉じ籠つたきり、外へ出て陽を仰ぐことも、人々に顔を合はせるのも厭がつた。
 友達のない子供たちは、狭苦しい六疊一間きりの部屋に、乏しい玩具を散らかして兄弟で色紙を切つて遊んだり、時には顔を引つ掻き合つたり、毆ぐり合つたりして、喧嘩をした。妻のきみ枝は兵六の故郷へつれ歸へられてから、急にヒステリックな女になり、事毎に兵六といがみ合つた。だが、その妻も子供たちのことになると、怒りを忘れた女のやうに優しかつた。終日一間に閉ぢ籠つて編物と縫物に日を送りながら、これも妻と同様に、一間に閉ぢこもることを餘儀なくされた子供たちの物淋しい遊びぶりを、悲しげな顔付で見守つてゐた。
 それは洞窟の中深くで仔を遊ばせてゐる可弱い動物に似てゐた。だが、仔に對して害意をもつ一切の外的に對しては、寸秒の容赦も、躊躇も、假借もない母性の必殺の凄みと構へが子供たちの遊びを見守る妻の姿勢にも感じられるのであつた。
 この妻子を雄々しく外敵から護らなければならない父の兵六は、外へ出て行つて村人の前で、恥も外聞もなく、意氣地のない捕虜のやうに自ら進んで、己の武装を解除してゐるのだつた。思想の鎧を脱ぎ、イデオロギーの太刀を手渡してしまひ、最後には身につけた襦袢や肌着まで脱いでしまふのであつた。まだこれだけでは足りないと考へて、おまけのつもりで凡ゆる場合に妥協し、追從し、屈服し、恥辱を甘受して恥ぢないのだつた。それは思想をもたない支那兵の捕虜が、生命惜しさのために、生命以外の一切を放棄して哀願にかへるのと同じ惨めさであつた。
 兵六は村の人々に、生きながら捕捉された捕虜であつた。
 だが、兵六のこのやうな最後的な讓歩と屈服にかゝはらず、彼を取り巻く村人は、まだ決して容赦しないのである。
 ──もつと前に、兵六さんもそんな風であつたらのう。
と、いふのである。國家の方針に反する思想と行動を捨てゝ、村人と同じやうに先祖を祀り、錢をかぞへ、子供を叱る、所謂「眞面目」な生活にもどつても、もう今からでは「遅い」といふのだ。そして兵六のもつて生れた性癖にまで干渉して、酒を飲むのがいけない、煙草がすぎる、旨い物を食べたがる、子供に甘ますぎる──と、いふやうな小さな缺點まで拾ひあげて、あげつらふのだ。これは最早、思想の問題ではない。肉體の問題である。肉體を放棄しなければ、解決しない問題であつた。流石の兵六もこゝまで來ては、むかッ腹を立てずにはゐられなかつた。妥協と追從と同化力にかけては、かつてその非凡な能力を同志間に認められてゐた兵六も、ことこゝに到つては、肉體を捨てゝまで村の人々に迎合する勇氣がなかつた。この非理な改宗を迫まる急先鋒が、彼の肉親の伯母であつた。
 兵六は酒を呷つては、暴れた。もともと氣の弱い彼は、酒を飲んで暴れるといつても、決して抵抗のある人間なんかを相手には選ばなかつた。抵抗力のない非力な妻や、犬や、鷄──そんなおとなしい家畜類だけが、彼の兇暴な傍杖を喰ふのであつた。大きな牛などは前から行けば、角で突きあげられる心配があつたので、後ろからそうッと油斷を見すまして、いきなり尻を丸太で喰はせるくらゐが關の山であつた。
「生れかはつて來いといふんだ。畜生!……死ななければ、生れかはれるかつてんだ。死ね、死ね!……さういふ謎なんだ、畜生!」
 兵六はまだ就職して三月にしかならない、この地方の特産である耐火煉瓦の工場を、いきなり罷めてしまつた。そして貸してくれるまゝに村の酒屋から一升罎を取り寄せて飲み、醉ひのまはつた頭で、やけくそな計畫を立て始めた。また妻子を引きつれて、どこか見知らぬ土地へ放浪して行く考へであつた。
「この村には、もう懲々したわ。この村でさへなければ、わたしだつて、子供二人ぐらゐ、何んとしてでも育てられる自信があるわ」
 妻はかう言つて、不安なおろおろした眼のなかに「きつと子供だけは育てる」不屈の意志を輝かせるのだつた。
 その強い意志は、兵六に缺けてゐるものであつた。彼は妻のこの一言によつて勇氣づけられ、決して實現することのない、他愛のない夢を描きつゞけるのであつた。そこへ降つて湧いたやうに蘆溝橋の事件が突發し、やがて間もなく彼は、召集されることになつたのだ。

 最初、召集の赤紙を手にした時、兵六は何がなしほつとした。助かつたと思つた。思想を捨て主義から離れ、生活の信條を失つて野良犬のやうな暗闇を彷徨してゐる彼に、微かな光りが射したやうに思へたのだ。思想的な立場を完全に喪失した彼は、唯々として上官の命に服し、きびしい軍紀の下に素直に服從できる身輕さを感じ、胸を叩いて喜ぶのであつた。
 だが、この感情は結局、詐りの誇張であつた。己の思想的な行き詰りを、自力によつて解決する能力がなく、召集といふ不可避的な事情の下に打開されることを當て込んだ、ひどく横着な自己欺瞞であつた。だからこそ、ちよつとした異常な事件や事實にぶつかつても忽ち、その假面は剥がれるのだつた。
 若い應召兵たちや、その家族たちの一身を度外視した熱情や興奮にも、何か空々しく思慮の足りない單純さを感じたし、學園の自由な空氣が紊される痛々しさにも、彼の心は疼くやうな戸惑ひを覺えるのであつた。
 裸になつたつもりでゐても、まだまるつきり裸になり切つてゐない證據であつた。思想的なものを、すつかり拂ひ捨てたつもりでゐても、まだ肉體の内部に何かひそんでゐて、こいつが時々に生き物のやうに頭をもたげて來るのだつた。