同著の「あとがき」に次のようにある。
「お断りしておきたいのは、これは私の個人的記録で、公表を予定して書いたものではないということである。しかも寸暇を盗んでの走り書きだから文章も整っていないし、いまとなって見れば、明らかな間違いもあり、滑稽な独断もあり、矛盾もある。ことに読者に時代錯誤的違和感を与える言葉や感想も多分にあるだろうと思うが、これは終戦を境にしてあらゆる価値観が大転換してしまったからである。しかし私は、日記を再録するに当って、これらを戦後の風潮に合わせて修正したり、削除したりすることを一切しなかった。これが三十四年前の戦場で書かれたものであること、つまり“記録性”を大切にしたいと思ったからである。」
日記は前書き部分の記述を除けば、昭和19年12月31日から昭和20年12月4日まで、比島派遣軍報道部嘱託として体験したフィリピン戦線での敗戦と抑留生活が、ほぼ毎日欠かさずに記録されている。
以下の引用で、その日の記事中で省略した部分は(中略)(後略)としたが、まるごと引用しなかった日にち部分は(中略)(後略)も付していないので、ご了解下さい。[ ]は原本のルビ、引用は昭和20年2月9日から始めます。